サマルカンド
「私が美しい都市マラカンダについて聞いた話は、一つだけを除き、すべてが真実である。自らの目で見たマラカンダが、話に聞くよりも一層美しかったことを除いては」(アレクサンドロス大王、紀元前329年)。
サマルカンドはどの言葉よりもシルクロードのイメージを豊かに表象しています。サマルカンドは多くの人にとって、アトランティス島のように不思議なものです。多くの西洋の詩人と作家がサマルカンドについて書いています。飛行機の機内からも、古代建造物のミナレットと青いドームが見えます。タシケントからサマルカンドへ車で行けば、自然にできた「ティムールの門」(川岸の両側に位置している二つの切り立った岩壁で形成された門)を見ることができます。サマルカンドはオアシスに位置しており、2つの山脈の間を流れるゼラフシャン川で洗われています。
サマルカンドは、古代ではマラカンダ(ギリシャ語)と呼ばれていました。紀元前5世紀に建設されたサマルカンドはソグドの首都であり、要塞壁に囲まれていました。紀元前329年に、アレクサンダー大王はサマルカンドを征服しました。
さまざまな情報源によると、サマルカンドは初め、アフロシアブと呼ばれていました。サマルカンド初のモスクは、町の西部のアフロシアブという古代都市の遺跡の付近で建設されました。サマルカンドはホラーサーン州(中心都市はメルブ)の一部であり、紀元9世紀にはサマン王国(首都はブハラ)の一部でした。当時、広いバザール、住宅地、銭湯、隊商宿を有していたサマルカンドは、長い間トランソクシアナにおける最大の都市でした。
紀元10世紀の終わり、サマルカンドはカラハーン朝(トルコ系)により征服されました。現在、サマルカンドの人口は40万4000人です。都市は海抜710m、ゼラフシャン川谷(アムダリア川とシルダリア川に次いでウズベキスタンで三番目に大きい川)に位置しており、タシケントに次ぐウズベキスタン第2の都市となっています。
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