タシケント
タシケントはウズベキスタンの首都です。現在、タシケントは中央アジアにおける最大の産業・文化・政治中心地とされ、また魅力的な東洋の一都市となっています。タシケントの建築は非常にユニークなものです。人々のもてなしぶりも、有名です。タシケントは2200年の歴史を有しています。タシケントは小さい古代の集落から中央アジアの最大の都市まで発展しました。その歴史のなかには、発展した時期もあれば、衰退をした時代もあり、非常に面白い歴史的変遷を持っています。
例えば、インドの首都であるデリー市のような一部の東洋の都市のように、タシケントは常に旧市街と新都市部という2つで構成されていました。
旧市街
1.
カファル・ショシー廟
2.
バラクハンとムイイ・ムボラクのメドレセ
3.
ティッラ・シェイフモスク
4.
イマーム・アリ・ブホリー名称イスラム大学(旧ナマズゴフモスク)
上記の名所の他に、以下の古代建造物があります。それはハストイマム広場外のいわゆる旧市街内に存在しています。
5.
シャイフ・ザイヌディン廟
6.
シャイフ・ホバンディ・トフル廟
7.
ユヌスハン廟
8.
カルディルガチ・ビー(カザフスタンではトゥレ・ビーと呼ばれる)廟
9.
ホジャ・アラムバルドル廟
10.
クケリダシュ・メドレセ
11.
ホジャ・アフロル・バリイヤモスク
12.
アブル・カシム・シェイフ・メドレセなど
ハストイマム(又はハズラト・イマム広場)は旧市街の中心部にあります。2007年、ISESCO(イスラム教育・科学・文化団体)はタシケント市を2007年のイスラム文化の首都として選びました。それに関連し、イスラム諸国会議機構のイスラムに関する定期的なイスラム会議をタシケントとサマルカンドで実施するという決定により、ハストイマム広場は完全に復元されました。タシケントはサマルカンドより新しく、また現代的な都市であるにもかかわらず、古代建造物が少なくありません。その大部分は旧市街に集中しています。
クケリダシュ・メドレセ
クケリダシュ・メドレセ
クケリダシュ・メドレセは、16世紀に建設されたメドレセ(イスラームの神学校)であり、クケリダシュという大臣にちなんで名付けられました。長方形の中庭があり、その壁は厚く、どっしりとした典型的な長方形の建物です。壁に沿って、ダルスホナと呼ばれる教室が存在しています。かつては、3階建ての建物でした。メドレセはソ連時代に復元されましたが、その3階部分は復元されませんでした。
教室は1階にあり、他の地方から来る学生が暮らしやすく、また勉強できるように、2階の部屋は学生の寮として使用されました。メドレセの近くに巨大なモスクがあるにもかかわらず、便宜上、メドレセの館内に祈りのための部屋(小モスク)が備えられています。かつて、メドレセの近くには大きな隊商宿がありました。その隊商宿は何百年も前に破壊されましたが、再建されることはありませんでした。
バラクハン・メドレセ
バラクハン・メドレセは16世紀に建設され、現在のウズベキスタンで最も古い建造物の一つとなっています。現在、メドレセは活動しておらず、昔の教室は手工業の作業場として利用されています。そこでは、木の彫刻、ニスで塗った張り子の小箱、絹製品などの伝統芸術の見物をすることができます。
ホジャ・アフロル・バリイヤモスク
このモスクは、有名な科学者であり、政治家、親善大使でもあったホジャ・アフロル・バリイヤの指示の下で、1451年に建設されました。当時、それは町で最も大きいモスクであり、都市に住む科学者やイスラームの裁判官がよく集まる場所でした。毎週金曜日に、多くの住民がお祈りをするためにそのモスクに集まったため、このモスクはジョメア・マスジド(大聖堂)と呼ばれることもあれば、「金曜モスク」と呼ばれることもありました。数百年を経て、モスクの建物が徐々に倒壊し始め、ソ連時代には利用不可能になりました。独立後、モスクは完全に復元され、現在はまた都市住民の生活において重要な役割を果たすようになりました。
カファル・ショシー廟
この廟は、ティムール皇帝の指示の下で14世紀に建設されました。霊廟は、10世紀に住んでいたイスラームの科学者、ムハマド・アブ・バクル・イスマイル・カファル・ショシーの埋葬地に建設されました。旧市街の中心部であるハズラト・イマム広場、又はハストイマムはその科学者の名にちなんで名付けられました。
16世紀に廟の倒壊が始まったとき、ブハラの王であるアリムハンは有名な霊廟の復元のために、資金を提供しました。ソ連時代には3回にわたってその復元がなされましたが、最終的に、イスラーム会議への準備が行われた折、ISESCOがタシケント市をイスラーム文化の首都として選んだ2007年に、霊廟は修復されました。
イマーム・アリ・ブホリー名称イスラーム大学
カファル・ショシー廟の近く、ナマズゴフという古代のモスクがあった場所に、建築物の集合体が復元され、再建されました。それがイマーム・アリ・ブホリー名称イスラーム大学です。ウズベキスタンでは、現在10のメドレセが活動しており、イスラーム大学はイスラム教育機関のうちのひとつです。10世紀に活躍したイスラームの科学者であり、ハディース(コーランの解釈)を収集した人物である、イマーム・アリ・ブホリーの名にちなんで名付けられました。
ムイイ・ムボラク・ウズベキスタンイスラーム宗務局付属図書館![](img/karan.gif)
かつて、この図書館の建物は、19世紀に活躍した有名な商人であるティラ・シェイフが提供した資金によって建設された、ティラ・シェイフモスクに付属していました。ウズベキスタンのイスラーム宗務局に寄付された7世紀の聖なるコーランの原本が、ウズベキスタンの独立後、この図書館で保管されています。「オスマン・カリフのコーラン」とも呼ばれるそのコーランは、現在タシケント市への訪問者なら誰でも見物することができます。
そのコーランは、7世紀のオスマン王の所有物であり、イスラームに関する最も古い書物の一つです。クライシュという古代語(アラビア語)のクーフィー体という書体で書かれており、特別なインクを用いて、ダマジカの皮に書かれているものです。今まで、文字が一つも消失していません。図書館は特別に保護、管理されており、書物自体はケースに保管されています。そのケースは、ドイツのパートナーにより寄贈され、そのケースの中では、書物の保管に必要な環境が維持されています。
新都市部
独立広場
タシケント市の中心の広場で、都市の行政の中心部にあります。面積は16ヘクタールです。ここには、暑い夏の日に快適な気候を作り出す噴水が多くあります。ウズベキスタンが1991年に独立した後、その広場は見違えるほど変化しました。今、そこはタシケント市で最も美しい名所の一つとなり、散歩に絶好のスポットとなっています。独立広場には、第二次世界大戦における戦死者に捧げられた記念碑が建てられています。
シャヒドラル・マイドニ(抑圧的政権の犠牲者の広場)記念建造物
タシケントのもう一つの美しい広場は、シャヒドラル・マイドニ(抑圧的政権の犠牲者の広場)記念建造物です。そこには博物館があり、その展示物は1864年から現在までの歴史についてのものです。この記念建造物は、近代の政治体制の犠牲者に捧げられたものです。記念建造物の中心には、円形の建物と一部の犠牲者の埋葬地があります。
アムール・ティムール国立博物館
この博物館は、14世紀に生まれた著名なマウェラナフル王・ティムール(世界の他の地域では、タマーランとして知られている)の生誕660年周年となる「アムール・ティムールの年」として、UNESCOにより宣言された1996年に建設されました。博物館は美しく、豪華なものとなっています。世界の様々な地域へ27回の侵攻を行い、1回足りともも負けることはなかった無敵の将軍についての完全なる資料が提供されています。ティムールには息子が4人、娘が2人いました。その息子は、長年にわたり帝国の発展を支え続けました。
ウズベキスタン工芸博物館
この博物館の本館は、かつてのロシアの外交官である、アレクサンドル・ポロフツェブの公邸でした。公邸は、19世紀末に最も優秀な建築家と石膏彫り、木の彫刻などのウズベクの工芸家によって建設されました。博物館の中庭には、公邸建設が始められる前に植えられた樫の木があります。
工芸が大好きであったポロフツェブの依頼により、公邸はウズベク伝統様式を用いて建てられました。ポロフツェブはその外交活動を終えるとき、公邸をウズベク国民に贈与しました。そこで、その公邸を工芸博物館にするというアイデアが生まれました。博物館は数千の手作りの展示品を所蔵しており、それはウズベキスタン全土の工芸を表すものとなっています。そこには、ウズベキスタン全国の工芸家の最高傑作が集められています。
ウズベキスタン美術館
工芸博物館と同様に、美術に関する詳しい情報を提供する美術館です。そこには、かつて、ロシアのロマノフ王朝の所有であった美術品の個人コレクションがあります。その美術館には中国と日本の工芸品も展示されており、アートギャラリーもあります。
タシケントでは、他にも面白い博物館と名所が多く存在しています。例えば、ウズベキスタン国民の歴史博物館、鉄道技術の博物館(この博物館は、世界で最も珍しい博物館となっています)などです。 |