ヒヴァ
ホレズムは古代からの歴史を持っており、その点で、ホレズムと比較できる文明は多くありません。ホレズムは、シルクロードの発生よりずっと昔から、水路や陸路によってヨーロッパと東洋、シベリアと南部の文明と結ばれていました。世界の有名な文明とホレズムは互いに交流し合っていたのです。それらによる文化的な影響は、シルクロード発生のための必須条件となりました。
ヒヴァは、ホレズム州の西部、海抜100メートルの果てしないキズィルクム砂漠の近くに位置しています。ヒヴァはまるで、昔話の本から現代の世界へ移って来た町のように思えます。古代遺跡の独自性は現在まで手つかずのまま残っています。ヒヴァは豪華なモザイクで装飾された宮殿、美しくまた珍しい塔、マドラサとモスクが多い場所です。ヒヴァの建築の壮大さ、美しさと色の組み合わせは、私たちを感心させるものです。
アロクリ・ハンメドレセと隊商宿
オク・マスジド(白いモスク)の向こう側へ通じる横町に沿って、いくつかの美しい建物が並んでいます。その多くは、アロクリ・ハンの出資金で、1830年から1840年に建設されました。最初に目に入る建物は、通りの両側に並んでおり、お互いに向き合っている、アロクリ・ハンのメドレセ(1835年)とクトリムロディノク・メドレセ(1809年)です。両方の正面は、陶器のタイルで飾られています。アロクリ・ハンメドレセの北に位置しているアロクリ・ハンのバザールと隊商宿は、メドレセと同じ年に建設されました。メドレセの前には、隊商宿とバザールへ導く高い木製の門があります。バザールはドーム型のアーケードになっています。隊商宿は現在ではデパートになっており、そこでは陶芸品を安く買うことができます。
イスラム・ホジャのメドレセとミナレット
イスラム・ホジャのメドレセとミナレットは、ヒブァのイスラム風現代建築物を代表するものであり、1910年に建設されました。高さが45メートルの塔には、碧青色と赤色の陶器タイルが巻き付いていて、きれいな灯台のように見えます。ミナレットの中には118段の階段があり、この塔は最も高い塔となっています。そのてっぺんからは、カラクム砂漠の素晴らしい景色が眺められます。
メドレセ内にある工芸博物館には、古代の木彫り品や鉄製品、宝飾品、本、ウズベクとトゥルクメンの絨毯、陶芸品、アラビア風の石彫品(ホレズムの人々は、紀元8世紀以来、その石に文字を刻んだり、書いてあるものを読んだりしました)、「フム」と呼ばれる家の地下で食品を保管するために用いる大きなつぼなどが保管されています。
イチャン・カラ(内城)の壁と門
二重に装甲されたレンガ造りの西門(オタ・ダルボザ、「門の父」という意味)はイチャン・カラの正面玄関です。長さが2.5キロの美しい城壁は、18世紀に建設され、ペルシア人により破壊された後、また復元されました。北東部は10年ほど前に、ほぼ完全に復元されました。他に北門、東門と南門があり、その名前はブホロ・ダルボザ(ブハラ門)、ポルボン・ダルボザ(勇士の門)とトシ・ダルボザ(石の門)と呼ばれています。その他に、40の砦があります。
ジュマ・モスクと尖塔
音楽博物館の東には、面白いモスクがあり、その屋根は218本の柱で支えられています。それはアラビアのモスクの建築技術を取り入れて、建てられたものです。見事な木彫りを施した柱の一部は、10世紀に作られたものです。ジュマ・ミナレットの中は暗く、また狭くなっており、塔の中にはてっぺんに上がる81段の階段があります。
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